楽に生きるために 大腸癌で父を亡くしました

令和に変わる前、父を大腸癌で亡くしました。看護師でありながら父の闘病中に多くの葛藤と悲しみを味わい、「生きる大変さ」を痛感した経験から「楽に生きる」ことを考えていきます

ようやく退院! 帰ってからは癌の痛みとの戦いでした

9月の終わり、父は1か月の入院を経てようやく家に帰ってきました。

 

一緒に住んでいる私の娘、父からしたら孫ですが、大好きな孫と久しぶりにゆっくり過ごせてとてもうれしそうにしていました。まごもじーちゃんが帰ってきてとても嬉しそうで、毎日父の所へかけつけて遊んでほしそうにニコニコしていました。

 

穏やかに家にいて化学療法を通院しながらやってもらって過ごそうと思っていたのですが、なかなかそうはいかない。特に辛かったのは癌の痛みでしたね。

 

 

前回記事です

www.lisamamablog.com

 

 

父は退院する少し前に、なかなかコントロールのつかない痛みを「緩和ケアチーム」という病院内の痛みをメインに癌やその他の病気からくる苦痛を専門に診てくれるチームに来てもらっていました。疼痛緩和専門の医師、専門あるいは認定看護師、薬剤師などがチーム内にいて、父のところにきて色々とお話を聞いていただきました。父が最期を迎えたのは緩和ケア病棟だったのですが、緩和ケア病棟に移るまでに非常にお世話になったのがこの緩和ケアチームの方々でした。

 

父は入院してからロキソニンという最近では薬局でも購入できるものを内服し、一時痛みは和らいだようでした。しかし時間とともに徐々に痛みが強くなってきて医療用麻薬を主治医の先生に出していただいていました。それでも痛みは強くて緩和ケアチームに来てもらったという流れでした。ただ来てもらったのが退院前日、痛みで移動がなかなか困難な父の代わりに看護師であれば…ということで私が代わりに外来に通ってお薬をいただいていました。

 

父は医療用の麻薬「オキシコドン」というものを内服していました。 癌の痛みに麻薬を使うというのは今でこそ随分世間に広まってきており、抵抗を示す患者さんは減ってきた印象を感じます。が!父はそうではありませんでした…。

 

父の辛いところは腰の骨に転移があり、起き上がったり座っていると痛みが強くなってくるのです。なかなかこの「動くと痛い」というのはコントロールが難しい。

 

父は大腸癌になる前からソファで1日寝て過ごすのが普通でした。

しかし退院してからはソファには病院のベッドのように柵がないので自力で起き上がらなければならないし、ふかふかしてかなり力がいるのです。無理に助け起こそうとすれば痛みが増すようで、「痛い!」と言って振りほどかれました。

 

トイレに行く、ご飯を食べるなど生活動作に合わせて痛みが来るので、そのたびに「レスキュー」と言って痛みが強くなりそうな時に前もって痛み止めを追加するようお薬をいただいていました。ただ、父は根っからの医者嫌い、薬嫌いでレスキューを使うことにものすごく抵抗があるのです。私や母が勧めても拒否、痛い痛いと言ってトイレに行きたいと言い出してから2時間くらい痛みで起き上がれずにいたこともありました。

 

レスキューを飲むことで痛みが和らいで、生活が少しでも痛みのないものになっていけばいいのに、まるで毒でも盛るかのように拒否をするのです。観念して自分から飲むこともあり飲めば一時的に調子が良いこともあったのに。何度説明しても元から人の話を聞かない、信用しない人、医師や看護師さんならばもう少し聞いてくれたのかもしれない…。家では誰の言うことも聞かない…。

 

父の痛みとの闘いは、私たち家族にとっても辛いものでした。痛がる父を見るのも、薬を飲んでくれない父も辛い。人工肛門の交換も毎日と指示されたものですから、仕事から帰ってきて、家で慣れない人工肛門の交換。しかも人工肛門の周りが膿んで穴があいたのでしっかりその中も洗うように指示されている始末。交換している間、娘も眠くなる時間ですから私にくっついていたいしぐずる。父は体勢を変えるのに痛がって家族に当たり散らす。父も家族も毎日疲弊していきました。

 

退院して1週間後、初めての受診。人工肛門の周りが膿んでいたのでそこを見てもらうために病院へ行きました。これもまた大変。癌患者さんって本当に通院するのも大変…父を見ていてそう思いました。だって起き上がるのにも時間がかかるのに、病院へいくなんて!ものすごいミッションに感じていました。

 

続く

 

 

人工肛門の周りが膿んだ時のお話のある記事です↓

 

www.lisamamablog.com

 

 

www.lisamamablog.com