楽に生きるために 大腸癌で父を亡くしました

令和に変わる前、父を大腸癌で亡くしました。看護師でありながら父の闘病中に多くの葛藤と悲しみを味わい、「生きる大変さ」を痛感した経験から「楽に生きる」ことを考えていきます

父が大腸癌で人工肛門造りました

平成30年9月7日父は人工肛門を造り、中心静脈ポートを埋め込む手術を受けました。

 

前回の記事です 

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当日私は仕事で、職場の病棟は走り回るほどの忙しさ。

手術は夕方だったので、なんとか仕事を終わらせたかったのですが、終わる気配全くなし。出棟の呼び出しを病棟にしていただけるということで、予定時間の16時に差し掛かる頃、ドキドキしながら仕事をしていました。

 

「ごめんね、お父さんの手術の時に抜けさせてあげられなくて…」

 

そうやって、その日一緒に働いたスタッフから声をかけてもらえたのがうれしかった。こちらこそ、私事で迷惑をかけているのに。それに私は自分の職場だから、すぐに駆け付けられるけど、普通の人だったら仕事を休んできて、じっと手術が終わるまで待っていなければならないから…。恵まれていると思うようにしました。

 

16時半頃、そろそろ手術室に出発すると担当の看護師さんから連絡がありました。仕事が終わりきっていない上に夜勤への引き継ぎの忙しい時間。他のスタッフに時間をもらって、父の病室へ駆け付けると父が痛みのために体を傾けて車いすに乗っていました。母も部屋にいてちょうど出発するところでした。母の足が悪いため、ゆっくりと進みます。

 

いよいよだ…

今まで散々自分が送り込んできた手術室に父が向かっていく。「まな板の上の鯉だ」と父は笑っていたけど、きっと初めてのことでものすごく緊張していたと思います。手術室の手前に家族控室があり、私たちはその部屋の前で父と別れました。看護師さんに車いすを押してもらい、痛みで傾き丸まった背中が扉の向こうに消えていくのを見つめていました。

 

しばらくして父を送ってくれた看護師さんが出てきました。一緒に父の病室まで戻り、母を病室において仕事に戻りました。相変わらず職場である病棟はバタバタとしていて、抜けさせてもらったお礼を言って仕事にとりかかります。でもなんだかそわそわして落ち着きません。あぁ、患者さんを待つご家族も一緒に戦っていたんだな…と実感していました。

 

あの父ががんばっている、2時間程度と聞いていたけど、もっと早く終わるかもしれない。病室で待っている母の側にいたい。とにかく自分の仕事だけ終わらせて先に上がらせてもらい、病室へ向かいました。私服に着替えて売店に寄り、病室を出て休憩所にいた母と合流し、おにぎりを食べながら待っていました。

 

手術が終わったのは約1時間半くらいだったでしょうか。ちょうど夜勤の看護師さんがご飯を配り始める時間の18時ころで、忙しい時間に申し訳ないな…と思った覚えがあります。

 

父のお迎えに一緒についていき、お迎えに行ってもらっている間に先生から手術の説明がありました。家族待合室の一角に面談室があり案内されました。ホワイトボードにとてもきれいに絵を描きながら先生はわかりやすく説明してくださいました。面談室の中は見たことがなく、こうなっていたのか!と父の手術が終わったことも加わって、妙に興奮していました。

 

「手術は無事に終わりました。人工肛門と右利きなので左の鎖骨の下のところにCVポートを埋め込みました。人工肛門を造るときにお腹の中をのぞいてきたのですが、腹膜というところに数か所癌が飛んでいるのを見つけました。少し様子を見てお水を飲み始めて、問題なければ食事を始めていきます。食べられそうであれば少しずつ硬いご飯にしていって、一刻も早く抗がん剤をやりたいと考えています。ご飯が食べられて、人工肛門のケアの仕方を覚えられればいったん退院か、最初の抗がん剤を行ってから退院にするか考えていきます、また相談させてください。あと痛み止めを飲んでいますが、あんまり効いていなさそうなのでご飯が始まったら医療用の麻薬を使っていきますね。あと…」

 

一通り手術の状況と今後の予定を説明された後、先生はいいにくそうに

 

先生「お父さん、手術終わって麻酔が覚めた後少し興奮してしまいまして…」

 

私「まじかーーーー」

 

先生「結構な力で起き上がろうとするものですから何人かで抑えて、ちょっと危ないんでおしっこの管抜かさせてもらいました。おしっこ、おしっこって言ってたから管の刺激だったのかな?あと夜中混乱して人工肛門とか触ったりすると危ないんで、抑制の同意書(安全確保のために縛るなどしてもいいよという同意書)もらっておいてもいいですか?」

 

私「すみませんでした…」

 

麻酔から覚めた父は寝ぼけて暴れたようで…。確かになんとなく先生の長い髪が乱れている気がする…。先生はにこにこしていてくださいましたが…。

術後せん妄と言って、ものすごーく簡単に言うと麻酔から覚めた後とか病室に戻った後混乱して暴れたりとか点滴抜いちゃったりとかする方いるのですが、あぁお父ちゃんやっちまったのか…。確かに家でも寝ぼけて暴れたりソファから飛んだりすることあったな…。これはまずい、今晩お泊り付き添いか?

 

正直自分が看護師として働いているときに、そういう患者さんがいると目が離せずほかの業務が回せなくなりものすごーく大変なので、病室に帰っている間、お泊りになったら娘はどうしよう、お母さんを付き添わせる??明日は休みだよな…とか父そっちのけで色々考えていました。お父さんごめんよ…。

 

できたてほやほやの人工肛門についてるパックを剥がしちゃったり、点滴抜いたり、安静なのに起き上がったり、多大なるご迷惑をおかけするのではないかという新たな不安を抱えとりあえずしばらく付き添い様子を見ることに。

 

父は爆睡。時々もぞもぞしだして起き上がったりしないかとどきどきしながら母と父を見つめる。寝ていって、ほっ…。看護師さんが時々やってきて検温していってまた帰っていく…。

 

時間がたつと段々と麻酔が切れてきて、何か話だします。

 

「んあ?なんだ~ここは~」

 

発言がやばい、母と私で手術終わったんだよお疲れ様、寝てていいよというと寝ていき…。何回か繰り返していくうちに

 

「なんだ、手術終わったのか、口乾いたな~」 

 

目が覚めてきたのか、正気が戻ってきたかも…?

手術の数時間前から水分もとっていないので口も乾いたでしょう。まだ飲めないんだよと伝えると、そうか…とつぶやき

「もう遅いだろ、今何時?遅いから帰れ、ちーちゃん(娘、父にとっての孫)が待ってるだろ」

「おにいちゃん(私の夫)にも悪いことしたな~」

 

いつもの調子で話ができるようになってきた模様。しかし、このじーさんは私と母にはなんも言わんのかい!

 

大丈夫そうかも…ということで、何かあったらいつでも付き添いますので連絡くださいと看護師さんにお願いして帰ることにしました。21時は回っていたかな…。

その夜はいつ父が暴れだして付き添ってくださいという電話が来るかどきどきしましたね。パパと娘の寝顔を見てしばらくもぞもぞしているうちに、いつの間にか寝落ちしてたけど…。

 

朝まで連絡がなく、母と大丈夫だったんだよね…?と確認。死ぬほど看護師さんにご苦労かけていないか…その日面会に行くのもどきどきだったな。

 

 続きます(下の方に少し笑った余談あります)

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【余談:手術を待っているときに…】

私の母はとにかく明るい少し天然?な感じの人。小児まひで子供のころから右足が悪いのですが、その分口は達者だし、気が強いところもあります。でもとにかくユーモアあふれる人、父の闘病中もなんとか明るく過ごせたのも彼女のおかげでした。

そんな彼女が一人で手術中の父を待っているときのお話。

 

「ちょっとトイレの扉がすっごく重くて開けられなくってサ。ヤバイ閉じ込められたと思ってがちゃがちゃ言わせたら看護師さんがいたのか、きゃって叫び声あげて出て行っちゃた、誰もいないと思っていたらお化けでもいるかと思って怖かったよねぇ、可哀そうなことしちゃったな~引き戸じゃなくって開く扉だったんだねぇ」

 

母なりに緊張はしていたかと思いますが、こうなったら仕方がないと堂々としたもので。きっと手術のお迎えの準備をしていた看護師さんが誰もいないと思っていた部屋のトイレが急にガチャガチャ言い出したら怖かったでしょうね…。開き戸を引き戸と勘違いし、開かなくてちょっとパニックになった母。しかも1回だけでなく、父が帰ってきてからももう一度、開かないどうしようってなってたそうで、麻酔で意識もうろうとする父が「なにやってんだ」って言ってきたそうです。おかーさん、さすがだね。